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眠い。

2011/12/13 (火) 20:55:38
結構前に読んだ本
ラノベ四冊文学一冊……。

囮物語 作:西尾維新
撫子の話は基本的に不愉快になる。
とまではいかなくても、化物語の方でもぱっとした話をもらえなかった千石撫子がアニメで一番人気になってしまい、西尾維新先生も思うことがあったのだろうか。
全く酷い役回りを負わしたものである、が、ぱっとした話をもらえなかった撫子の株は自分の中で物凄く低いので、本書への興味も最終決戦への期待もわりと薄い。
キャラクターソング、キャラクターデザイン、声も全て成功していてドキッとさせられるキャラだとは思うが、それだけじゃキャラクターを愛することはできない。
逆にどんなに趣味じゃないキャラクターも、シナリオへのはめ込みが上手くいけば大好きになれる。
それが自分のキャラクター論だし、実際みなさんもそうなのではないかと思う。
「かわいいとは何か」に主眼をおかれた今作は、そんな千石撫子のファンへの最高の皮肉にしか見えない。
結構前に読んだ本なので、何がどうだったかはよく覚えていない。
ただ、自分可愛さだとか、かわいそうだとか、そういう言葉回しがあったことはなんとなく覚えていて、本書のオチに不快感を覚えたのは間違いない。
化物シリーズのクライマックスは傷物語だったように思える。


鬼物語 作:西尾維新
傾物語が忍回だった事によって、急遽用意された真宵回。
思えばあそこでもう第3シリーズの話が出ていたのではないかと思う。
あれは派手なので面白いと錯覚させられるが、ご都合主義的で無理矢理感がハンパないシナリオだった。
で、本作といえば、幼女童女少女に囲まれて、ロリコン此処に極まれり、我が人生に一片の悔いなしと言ったところだろうが、やはりシナリオがぱっとしないと、ぱっとしないんだなあなんて思ってしまう。
忍の過去を明かすのに、大分ページを使っていたので、真宵回とは言ったものの比重は同じぐらいだったように思える。
その忍の過去がそれ程ドラマチックじゃないというのがまた、いや、ドラマチックに描かなかった、忍の説明が下手で、感動的に出来なかったというのは、一体何の意図があったのか。
個人的にはその後の展開に感動成分をとっておこうとしたのだろうか、我ながら浅い考えだと思うが、じゃあその真意は何だろうか。
西尾維新先生だけが知ることである。
最強の請負人みたいなキャラクターが出てきてしまい、こういう万能キャラの事、西尾維新先生は大好きなんだなぁと思うと少し気疲れを感じた。
安心院さんとかでお腹いっぱいなんですよ。
大好きだったキャラクターが久しぶりに出たと思ったら退場だったが、それ程衝撃的でもなかった。
いつまでも居るもんだと思っていたので確かに、確かに意表を突かれたが、それはそれで納得だし、いやしかし、感動を呼び起こすための伏線があったわけでもないので、本当に意表を突かれただけだった。
花物語で出てきた忍野さんのキャラ付けのための伏線にされた感が否めない、というか、花物語、面白かったなぁ……。
取り敢えず追悼のためグッスマのフィギュアを購入した。後で写真を載せようと想う。


アンドロイドは電気羊の夢を見るか 作:フィリップ・K・ディック
当時からすると世にでるのが早すぎた作品、しかし今だと古典的すぎる……なんて痺れる立ち位置のこの作品。
昔の人は、文で紹介されるシーンが思い浮かばずに難儀したようだが、現代人たる私が読むと、今ではあまりセンスがいいとは言えない使い古されたアイデアの機械が多くて、なんだかなあ、と思ってしまった。
世界観も、手塚先生の漫画のような、浦沢先生の漫画のような、それこそ、一昔のハリウッド映画を見てる気分だったし、実際ハリウッド映画になっているみたいだし、まあなんだ、そう、そんな感じなのだ。
普段ラノベばかり読んでいる私だから、少々刺激が足りないのだが、昨今で流行っている漫画的ハッタリの演出(本書のような立場の作品が始祖だとは思うが)が度々使われていた。(例:そうかもしれないいや、やっぱそうだ→違う)
普段文学している人間が読むとそのスリルを楽しめるかもしれない。
とにかくオタクにはちょっと刺激が足らなすぎたように思える。
本作によるアンドロイドや電気動物の意味は、かなりわかりやすく描かれていたように思う。
クライマックスのシーンなんかが真に迫っていて、その迫力とメッセージ性たるや、どの読者だってそこを見れば必ずタイトルの意味を知ることが出来るってぐらいだと思う。
しかし、最後の最後の展開で、また作品の意味が測れなくなってしまった。
次また開くときに、それを知ることが出来ればなと思う。


人類は衰退しました 作:田中ロミオ
ミュシャリスペクターの山崎透先生のイラストに惹かれて購入。
現段階では細かい評価を下すことはできない。
どうも自分という人間は壮大なストーリーや緊迫した、狂気にも似た雰囲気を好むので、今のところはグッと来るものはない。
今後、この作風でそうなって行く事は、一応あり得なくもないのだが、まあ無いだろう。
無いから人気なのだと思う。
主人公のキャラクターは非常に好感が持てる。狡猾萌え。
最後のレポートが笑える。
多分コレが人気なのだと思う。
イラスト担当が変わってしまうみたいなので、変わってしまったら買わなくなってしまうのだとは思う。
今まで出た山崎先生の絵のものだけ買って、喜んでいようと思う。


灼熱の小早川さん 作:田中ロミオ
「人類は衰退しました」はイラストだけの小説なのか、田中ロミオ先生とは果たして何者なのか。
それを探るべくアマゾンの評価を見たら星が4つもあったので安心して買った本作。
確かに面白かった。
着眼点が非常に面白く(といってもこの作者は別の作品(読み切り)でも似たような作品を書いてたらしいので、この作者が大切にしているポイントなんだと思う)、その問題へ、へこたれたりしながらも立ち向かっていく主人公達の姿は非常にかっこよく感じられた。
普通にしてれば現代社会を捉えた凄まじい作品だったはずなのに、悲しきかな、炎の剣云々や仮想趣味など、出さなくても良い要素を出してしまい、その違和感こそが凄まじかった感がある。
これはラノベの宿命として割り切るしか無いんだろうとは思った。
本作は大変面白かった。満足だった。為になった。非常に良かったのである。
そして自分は、「人類は衰退しました」の購入に踏み出すことになる。


待機
ドグラ・マグラ
クライマーズ・ハイ
悪夢のエレベーター
スタンド・バイ・ミー
行人

文学は気軽に読めない。ページが進みづらい……。困った。



近況はtwitterを見ればだいたい知ることができるので、よろしければそちらの方で。
と思ったが、意外に筆(?)が進むので、少し。

どんどん対人交流の意欲がそがれてしまい、サブカルにどっぷりハマる生活は、足のつかぬ沼でもがき苦しみ沈んでゆく気分だ。
しかも、働いてないと来てる。
どうにもこうにもあったとしても、やるべき事は兎に角済ますという、この世では当たり前の大前提を行えない存在として自分は誕生してしまったのか、それとも生まれながらにして大宇宙の法則のお世話になってしまったのか、疑いは止むことがない。

サブカルにハマるためには落とすためのお金が必要で、働くためにはサブカルにハマるための時間を献上する必要があるのだ。
時間は大切で、本当に大切だった。
アルバイトが嫌になって緊急退避して、それでも自分はまだまだそれがよくわかっていない。
昔はよく、限りがある人生なんだからもっとがんばらなきゃ、という旨の文章を書いていた覚えがあるが、いや、この人生とか語ってしまうセンスに恥ずかしさを覚えながら、今でも全くその通りだと、心の片隅で本心で同意している私が居るのだから、どうにもこうにも根本から恥ずかしい。

閑話休題、オタクの話題。
自分はなんといっても作品はメッセージ性を有していて、消費するのであれば、その意識になんらかの変化がなくてはならないと思っているし、その変化はいいもので正しいと思っている。
オタクは一般人よりも作品を消費しているのだから、この論が正しいのであればもうそれは神のごとく、良き人間になっているはずなのだが、どうしてもそうはならないという現実が、自分の考えを否定する為のなによりの材料で、そうなってくるとそれから背を向けて、自身の正しさを肯定したくなってしまう自分がある。

オタクである事のコンプレックスは、本物のオタクならば誰でも持ってるように思える。
持ってないのならオタクではないことを自覚したほうが良い、と、自分が信じるオタク像が語っているのだが、皆さんはどう思うだろう?
あなたはオタクだろうか?
オタクじゃないならそれに越したことはない。
オタクとは虐げられるサブカル好きに対して命名されるべきだからだ(自分が信じるオタク像曰く)。
だからそれと違うなら、あなたはオタクじゃなくてアニメや漫画に興味のある人程度だ(自分が信じるオタク像曰く)。
オタクになるなら暗い未来へ続く門をくぐる決意がなくては(自分が信じるオタク像曰く)。

そこで提案されるのがファッションとしてのオタクである。
虐げられるサブカル好きを自称し、そのようになっていこうとする決意がある僕達には、オタクのファッション化を提案したい。
虐げられなければオタクではないが、虐げられているという現実に目を背けず、さらに開き直っていく惨めな姿勢を体得することによってそれは初めて形をなす。
そうすれば今ほど闇の精神世界へ脚を運んでいくことは無いし、弄られてしまってもそれを栄養と考えるポジティブさがあれば間違いなく将来は薄明るい。
いつしかオタクであったことに誇りを感じながら絶命できるかもしれないし、確実にその可能性は高まる。
死してオタクの存在は肯定され、過酷な現世から解き放たれ、夢の二次世界へと誘われるだろう。
間違いない。

オタクはあまりにも現実に対して正しすぎた。
オタクこそがジャスティスで一般人をジャッジメントしていく権利がある(あの世で)。
作品を摂取しすぎて哲学的になってしまった思考回路はその人間性を歪ませて、人間なのに対人交流が苦手になってしまい、本当に、本当に、私の信じる作品摂取精神健康法は完璧に歪んでいるんだな。

まだまだ厨二エネルギーが体の内に健在だと思うと身の毛もよだつが、やはりブログなどでは語らず、作品に影響させていくのが良いと思った。




おわり。
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